読書感想文「ぼっちな食卓」

Hi there,

同職種の先輩からおススメしていただいて、読むこととなりました。岩村暢子さんのご講演をオンラインで拝聴したことがありますが、とても興味深い内容でした。

ご家族の食事風景をひたすら追い続けること数十年。食卓から見える家族の関係。ここまで壮絶な結果になっていたとは、驚きです。ご家庭をお持ちの方が読むのには勇気がいるかも・・・

親も子も自分の好きな食べ物だけを用意する。朝昼晩の三食でなく、好きな時間に食べる。食卓に集まらず、好きな場所で食事をとる。「個人の自由」を最も大切な価値として突き詰めたとき、家族はどうなっていくのか――。少子化、児童虐待、ひきこもりなどの問題にも深くかかわる「個」が極大化した社会の現実を、20年に及ぶ綿密な食卓調査が映し出す。

【目次より】

序文にかえて――同じ家庭の10年後、20年後を追跡してみたら・・・

ぼっちな食卓

私は、食卓というものがない家庭に育ちました。孤食に個食。こちらで見ていると、食卓があっても食卓に集まるとは限らないことが分かりましたが。

食卓についてしっかり考えるようになったのは、カナダへ行ってから。アルゼンチン人の父と、カナダ人の母のご家族の一部屋に住んでいた時。毎日というわけではないのですが、アルゼンチン人の父を中心に囲む食卓の居心地の良いこと。食事中、食卓でのコミュニケーションが家族のコミュニケーションの場だなぁと思いました。その後も、いろいろなご家庭で食卓を囲むという経験をさせていただきましたが、仲の良い家族は心地よい食事時間を過ごしている傾向がありました。もちろん、お子さんの年齢によってはバトルもありますが、それでもみんなでだいたい同じものを食べます。イタリアでは、週末、ホームパーティーのことが多かったので、大勢で食卓を囲み、食事を楽しみます。

日本は素晴らしい国ですが、便利を追及するがあまり、選択肢が増えすぎているような気がします。自分に本当にあった選択ができる教育を受けているか、その力が備わっているかは勉強とか知識次第。日々、健康教育をするための資料を読んでいますが(好きなところだけ)、知らないことはまだまだまだあります。

私は、何度もある食事の時間を。食卓を好きな人達と囲み居心地の良い時間を過ごすということが大切だと思っているのですが、食事時間がストレスになっているご家庭もたくさんあるような気がしています。衣食住のうち食は結構後回しになることが多いのですが(何か食べれば満たされるので)、実は食事というのは日々の積み重ねでしかないなぁと改めて思いました。食事から伝わることも学べることもたくさんあるんだなぁ。身体も、心も、関係性も。

素晴らしいご研究だと思います。

ぼっちの食卓

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